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2007年01月21日

あの日 阪神大震災

阪神大震災関係の事をTVでよくみます。もう、12年も経ったんですね。

あの日は、何故か早く目が覚めて、ぼんやりしていました。揺れが起こっても、ちょっした地震だと思っていたら、どんどん大きくなってきたけど、刺すような寒さに、お布団のなかで、この古い木造住宅が軋むのを主人と眺めていました。
本棚が倒れてきて、流石に起きざるを得なくなりましたが、本棚を起こすには揺れが激しくて、そのままにしていましたから、結構長かったンですね。

治まると、直ぐにTVをつけて、地震情報を見ましたけど、初めは神戸は何も書いていなかったです。どんどん情報が入っていき、京都は震度5と言うことが判りました。今まで経験した最高は3ですけど、もう、段違いでしたね。
本当は起きるのには早かったのですが、眠れません。余震が怖いし、興奮していましたし。置時計が落ちて文字盤のカバーが割れ、地震のあった時間で止まっていました。

番頭さんは市場であの時間に既に中央卸売市場の喫茶店に居ましたコーヒーがこぼれたそうです。東大阪から通っている人は、来ませんでした。後で「どんなに怖かったか」と、自分だけが被災したみたいに言っていました。
店を開けていると卸のお客さんが次々と来られますが、食器棚が心配だったけど、大した被害はなかったといわれる方が殆どでした。うちもそうですが、南北の棚は無事で、東西に立つ棚は結構物が落ちたということでした。
京都では死者は二名で、そのうちの一人は、学区内の方で、うちでも買い物をされている方でした。

猫を飼っている人は、地震前から猫が興奮して走り回っていたと聞きましたね。怖くて、奥さんに抱きついたという人もあれば、奥さんが抱きついてきたという話もありました。
豪快なのは、岩倉に住んでいるバイト君がひとり、爆睡していて全く知らなかったそうですが、その子は今は高校の先生で、去年結婚しました。それだけ、時間が経っているのやと思います。
あの日、電話は夜まで掛かりにくかったです。神戸・宝塚付近は何日も掛かりませんでした。東京の伯母が心配して何回も掛けてやっとかかったと言ってくれました。
有り難かったのは、東京にお住まいで京都に来られるたびに買い物に来てくださるお客様が、見舞いのお葉書をわざわざ下さった事です。こういう時は本当に人の情けが身に沁みますね。

実はこの日は月曜で、前日の日曜日、私達は店の皆で宝塚のカラカラテルメという、今で言うスーパー銭湯に行って七時ごろ帰ってきていたのでした。もう、半日早く地震が起こっていれば、私達は裸で被災していたなあ、と話していました。
行き帰りの電車の中で見た風景が、無くなっているなんて、本当に恐ろしい事です。自分達が間一髪で助かっただけで、被災者の一人やと思いましたし、深刻な被害状況の方たちを、わが身に引き換えて思いました。
あの刺すような寒さの中で被災され、瓦礫に挟まれ動けないたが多いと聞き、ほんとうにボランティアに行きたかったです。どんなに辛かったことですやろぅ。何も出来ず悲しかったです。

近畿というのは、正確には違うのやろうけど、東京都位の感じやないですか。そやし、友達も一杯居ます。電話が掛からないので、葉書をだしたり、掛かったところとはあれこれ話をしました。幸い皆さんお元気で、ただ家は半壊したとかそういう方が多かったです。

一番胸を痛めたのは、地震で亡くなられた方が、直ぐに亡くなられるのではなくて、建物の下敷きになり、救助が間に合わずという方が多かったことです。しかも、火事が起こり、泣く泣く生きているのに動けない家族を置いて逃げたという話も多く聞きましたが、その方達は、今もどんなに苦しんでいやはることやろと思うだけで辛いですね。
イギリスの救助犬とか、スイスのレスキューとか、地震が起こって直ぐ、ものすごい速さで申し出てくれはつたのに、直ぐにお願いしやはらへんかったのもあかんと、皆言っていました。そやから、優秀な犬が見つけたのは死体やったという悲しいことになりました。
そないに、親切にいうてくれはるもんやなぁとも感心しました。日本は、よそにちゃんとしていやはるのやろかとも、思いました。頭でのうて、感じたことです。

全国ネットのテレビなどは、直ぐに「東京で起こった場合の参考に」という取り上げられ方をされて、「私らは、今こんなに辛いのに」と言う気持ちになりました。じっさい、殆ど被害のなかった私でも、何年かは「ゴォー」という地震の地鳴りの音が空耳で聞こえていましたから、本当の被災者の方はどんなにと思います。
元うちのバイト君で、休日毎にボランティアで通う子には見直しました。車で行って、大きなお鍋でかす汁を作ったとか言っていました。叔父が七十過ぎで親戚の居る芦屋まで、水や食物を持って西宮から歩いたのは本当に偉いと思いました。こういう時に、その人が判りますね。
うちの卸のお客さんの息子が、その頃珍しかった携帯を持って西宮に行き、レポーター気取りで電話してたら、貸してくれと言う人に取り囲まれて怖かったという話もありました。

それだけ、時が経っているのですね。被災された方の心の傷も、少しでも癒えるようにと祈ります。


京都府の地域情報サイト【マチカド】

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