2006年08月29日
焼き鯖にアジのたたき
今日は、アジを焼いたらって言われたんです。でも、私はアジのたたきが食べたくて、もらったアジをお造りに。
アジのたたきって、二種類ありますね。豆アジを薬味と一緒に包丁で叩くのがタタキって言うのは判るんですけど、かつをのタタキとかは、なんでタタキって言うのかなと長い間不思議でした。
ある本いわく、薬味をのせてポン酢をかけて、馴染ませるべく、ペタペタ叩くからなんだそうです。そういうことで、うちのご飯は、ペタペタのほうのタタキです。
葱と紫蘇の葉と生姜とにんにく。あれば茗荷とかものせます。ポン酢を掛けてペタペタ。ご飯がすすみます。

一緒に鯖の塩焼と、アサリの酒蒸し、鱧寿司のヘタを使ったチラシ寿司。
アサリってタウリンがあって、体にいいというけど、もりもりご飯が食べれるのも確か。お汁もご飯に掛けてしまう人も多いです。なんか、バイト君が妙に元気になりましたよ。
アジのたたきって、二種類ありますね。豆アジを薬味と一緒に包丁で叩くのがタタキって言うのは判るんですけど、かつをのタタキとかは、なんでタタキって言うのかなと長い間不思議でした。
ある本いわく、薬味をのせてポン酢をかけて、馴染ませるべく、ペタペタ叩くからなんだそうです。そういうことで、うちのご飯は、ペタペタのほうのタタキです。
葱と紫蘇の葉と生姜とにんにく。あれば茗荷とかものせます。ポン酢を掛けてペタペタ。ご飯がすすみます。
一緒に鯖の塩焼と、アサリの酒蒸し、鱧寿司のヘタを使ったチラシ寿司。
アサリってタウリンがあって、体にいいというけど、もりもりご飯が食べれるのも確か。お汁もご飯に掛けてしまう人も多いです。なんか、バイト君が妙に元気になりましたよ。
2006年08月28日
京菓子の小さな秋
夜自転車を走らせていると、あちこちから虫の音が聞こえます。暑い、暑いと言うても、季節は少しずつ秋となっていきます。
あんなに青々していた木々の緑が、少しずつ、夏の疲れのようにくすんできて、色とりどりの秋の花が待たれるようになりました。廬山寺の桔梗、梨木神社やねねの道の萩、そう思うと心が弾みます。
そんな時、京菓子の花々を見ると、嬉しくなります。色づき始めたような「桔梗」黄色いのは「月見草」はんなりした三角は「萩の宿」烏丸丸太町、御所の直ぐ近くにある「甘楽 花子」のお菓子です。



葛饅頭もひいやり、つるつるして美味しかったし、きらきらしたギヤマンのようなお菓子も美味しかった、蒼空を映したような流し物も好きやった、けど、もう終わりやなぁ、又来年やなぁと思うこのごろです。
あんなに青々していた木々の緑が、少しずつ、夏の疲れのようにくすんできて、色とりどりの秋の花が待たれるようになりました。廬山寺の桔梗、梨木神社やねねの道の萩、そう思うと心が弾みます。
そんな時、京菓子の花々を見ると、嬉しくなります。色づき始めたような「桔梗」黄色いのは「月見草」はんなりした三角は「萩の宿」烏丸丸太町、御所の直ぐ近くにある「甘楽 花子」のお菓子です。
葛饅頭もひいやり、つるつるして美味しかったし、きらきらしたギヤマンのようなお菓子も美味しかった、蒼空を映したような流し物も好きやった、けど、もう終わりやなぁ、又来年やなぁと思うこのごろです。
2006年08月24日
焼き明太子とジャコおろし
なんやしらん、朝夕少しは楽になったような気がしませんか。八百屋さんの店先でキリギリスが鳴いています。陽は確かに短くなりました。けど、昼は暑いですぅ。朝の天気予報で京都が37℃と聞いたときは「冗談やない」と思いました。
うちは昔ながらの魚屋ですから、冷暖房はありません。魚を傷めたくないから、人工の風は禁物です。冷たい風は活け魚の弾力をなくし、水分を奪います。大事な鱧をしまらせたら、鱧の落しは、ぱっと弾けなくなります。だから、毎日暑いです。汗をかくから水分を摂り、胃液が薄まった感じです。
昨日トンカツと鮎の塩焼きと焼き鳥とを、大皿に盛り、好きなだけと言ったら、誰もトンカツに手を出しませんでした。一緒につけたきゅうりと帆立貝柱の酢の物は、大盛りなのに皆おとなしく食べましたけどね。

今日は、いかにしてご飯を食べてもらうか、みたいな献立です。塩分が多い気がしますけど、沢山汗をかきますから、まあ、どんなものでしょうか。ジャコおろしは、うちはポン酢です。一品酸っぱい物を食べたほうがいいと思って。
うちは昔ながらの魚屋ですから、冷暖房はありません。魚を傷めたくないから、人工の風は禁物です。冷たい風は活け魚の弾力をなくし、水分を奪います。大事な鱧をしまらせたら、鱧の落しは、ぱっと弾けなくなります。だから、毎日暑いです。汗をかくから水分を摂り、胃液が薄まった感じです。
昨日トンカツと鮎の塩焼きと焼き鳥とを、大皿に盛り、好きなだけと言ったら、誰もトンカツに手を出しませんでした。一緒につけたきゅうりと帆立貝柱の酢の物は、大盛りなのに皆おとなしく食べましたけどね。
今日は、いかにしてご飯を食べてもらうか、みたいな献立です。塩分が多い気がしますけど、沢山汗をかきますから、まあ、どんなものでしょうか。ジャコおろしは、うちはポン酢です。一品酸っぱい物を食べたほうがいいと思って。
2006年08月20日
昔の地蔵盆
今の子供が地蔵盆を楽しみにしているものなんでしょうか。クーラーの効いた部屋で、ゲームして遊んでいる子供が、あっても扇風機位のところで、スイカもらって喜ぶモンやろかと、思います。
うちの町内は地蔵盆はお寺からお経をあげに来てくださるだけです。以前はレクレーションで日帰り小旅行をしていましたが、それも、子供が殆ど居ない事や、定休日が様々でみんなの都合が合わない事もあり、無くなってしまいました。
よその町内で、熱心にやっていられるところを見ると、懐かしい気持ちでいっぱいになります。私の実家の町内は昔は三日あり、とても楽しみにしていました。実家はクリスチャンなので本当は行かせたくなかったようですが、子供は友達が集まっているので行きたがり、やむなく認めたようです。
地蔵盆の夜、子供たちは踊りを披露します。私も、同じ学年の子供たちと一緒に踊りを踊る事になり、ご近所のお宅で毎日踊りのお稽古です。一年生は確か一休さんだったと思います。ちゃんと衣装があり、小学校の上級生が教えられるのです。帰りには「おやかまっさんでしたぁー」と挨拶する事も教えられます。
小学校も大きくなると、ご町内の日舞のおしょさんの所に習いに行きました。ここでも、手をついて「よろしゅうお願いします」と頭を下げるよう教えられます。その当時ですから、美空ひばりの「柔道一代」を踊ったような。そうしてお稽古に励んで地蔵盆を迎えます。
子供にとって、宗教色はそんなになかったように思います。大数珠回しというのが、唯一宗教色があり、お念仏を唱えながら大きなお数珠を回していきます。房があるところで上にあげて拝むしぐさがはいります。もちろん、子供の事ですから終わってからのおやつも楽しみなんですけど、回す事も年に一回の事で楽しんでいましたね。
福引も地蔵盆の楽しみでした。たいしたものではなかったのでしょうが、普通の家で行い、商品はかごに入れて二階から下ろされるのです。よく見えるので、皆がはやし立て、喜んだりがっかりしたりするのも、楽しかったのでしょう。
夜は一晩は映画です。父が八ミリ映写機を持っていたので、フィルムを借りて今で言う白黒の外国のアニメを大人も子供も見ていました。後になってから、映画も借りてきてみるようになりました。もう一晩は子供たちの踊りです。私は「相変わらずへたくそ」と言われていたけど、無事終わるとほっとしていましたね。
最後の日は昼で片付けられ、もう、私たちの遊ぶ場所ではなくなります。夏休みも終わりに近づき、子供たちもそろそろ宿題の心配をしなくてはなりません。お盆が過ぎると海水浴もくらげが出るから行けません。真っ黒に日焼けした肌で、神妙になります。懐かしい昔の夏です。
うちの町内は地蔵盆はお寺からお経をあげに来てくださるだけです。以前はレクレーションで日帰り小旅行をしていましたが、それも、子供が殆ど居ない事や、定休日が様々でみんなの都合が合わない事もあり、無くなってしまいました。
よその町内で、熱心にやっていられるところを見ると、懐かしい気持ちでいっぱいになります。私の実家の町内は昔は三日あり、とても楽しみにしていました。実家はクリスチャンなので本当は行かせたくなかったようですが、子供は友達が集まっているので行きたがり、やむなく認めたようです。
地蔵盆の夜、子供たちは踊りを披露します。私も、同じ学年の子供たちと一緒に踊りを踊る事になり、ご近所のお宅で毎日踊りのお稽古です。一年生は確か一休さんだったと思います。ちゃんと衣装があり、小学校の上級生が教えられるのです。帰りには「おやかまっさんでしたぁー」と挨拶する事も教えられます。
小学校も大きくなると、ご町内の日舞のおしょさんの所に習いに行きました。ここでも、手をついて「よろしゅうお願いします」と頭を下げるよう教えられます。その当時ですから、美空ひばりの「柔道一代」を踊ったような。そうしてお稽古に励んで地蔵盆を迎えます。
子供にとって、宗教色はそんなになかったように思います。大数珠回しというのが、唯一宗教色があり、お念仏を唱えながら大きなお数珠を回していきます。房があるところで上にあげて拝むしぐさがはいります。もちろん、子供の事ですから終わってからのおやつも楽しみなんですけど、回す事も年に一回の事で楽しんでいましたね。
福引も地蔵盆の楽しみでした。たいしたものではなかったのでしょうが、普通の家で行い、商品はかごに入れて二階から下ろされるのです。よく見えるので、皆がはやし立て、喜んだりがっかりしたりするのも、楽しかったのでしょう。
夜は一晩は映画です。父が八ミリ映写機を持っていたので、フィルムを借りて今で言う白黒の外国のアニメを大人も子供も見ていました。後になってから、映画も借りてきてみるようになりました。もう一晩は子供たちの踊りです。私は「相変わらずへたくそ」と言われていたけど、無事終わるとほっとしていましたね。
最後の日は昼で片付けられ、もう、私たちの遊ぶ場所ではなくなります。夏休みも終わりに近づき、子供たちもそろそろ宿題の心配をしなくてはなりません。お盆が過ぎると海水浴もくらげが出るから行けません。真っ黒に日焼けした肌で、神妙になります。懐かしい昔の夏です。
2006年08月16日
お精霊さんのお飾り
お盆には、ご先祖さんが本当に帰ってこられると私が信じる事件が、昔ありました。
お迎えが済んでからのことで、私一人でこの家に居ました。何故か主人も母も出かけていて、一人で夕食の洗い物をしていました。左側の何かがスカートに引っかかったようで、見もせずにスカートを引っ張ると、今度は後ろから引っ張られました。流石の私も不思議に思って振り向くと、いました。
丸い顔の目のパッチリした女の子がニコニコ笑ってスカートを握っているのです。心臓がつぶれそうな思いで、必死でお経をとなえて、怖さで途切れ途切れになるお経がやっと終わって振り返ると誰も居ませんでした
ご先祖様だから「にたぁー」ではなくて「ニコニコ」だったんだと思います。まったく好意的な笑顔でした。ご先祖様で小さくて亡くなられた方も沢山いらっしゃるのです。
これは、失礼したのかも。ごめんなさい、ちゃんとご飯作りますから。
お盆が近づくと、お仏壇のお掃除をします。綺麗な細工も見事に外れてお掃除できるようになっています。お位牌を綺麗にするのは主人のお役目です。お盆にはお盆のお飾りがあります。一年に一回だけ出してきます。お軸もこのときだけのものです。
我が家は深草派浄土宗なのですが、昔は日蓮さんだったということで、どちらもお飾りさせてもろうています。ですから、お膳もふたつ、それに「付いてきゃはった人」の分も作ります。おはしは「おがら」を、おはしの長さに切って束ねます。


お昼は最初の日は「お迎え団子」その次の日が「おはぎ」その次の日が「白むし」帰らはる日は「お送り団子」です。このお団子はしんこ餅と同じお味で、おはぎといい、お下がりを戴くのが楽しみです。
夜は昔の書付は「とおに」無くなってしまったとかで、決まり物はありませんが、大体同じようなものになります。お芋は夏の細いところを小さく切り、三度豆も二つ折りにするなど、小さい可愛らしいお膳です。
こういうことは、母のしていたことを見るとはなしに見ていたことを、同じようにしている自分に気がつき、おかしくなります。
お迎えが済んでからのことで、私一人でこの家に居ました。何故か主人も母も出かけていて、一人で夕食の洗い物をしていました。左側の何かがスカートに引っかかったようで、見もせずにスカートを引っ張ると、今度は後ろから引っ張られました。流石の私も不思議に思って振り向くと、いました。
丸い顔の目のパッチリした女の子がニコニコ笑ってスカートを握っているのです。心臓がつぶれそうな思いで、必死でお経をとなえて、怖さで途切れ途切れになるお経がやっと終わって振り返ると誰も居ませんでした
ご先祖様だから「にたぁー」ではなくて「ニコニコ」だったんだと思います。まったく好意的な笑顔でした。ご先祖様で小さくて亡くなられた方も沢山いらっしゃるのです。
これは、失礼したのかも。ごめんなさい、ちゃんとご飯作りますから。
お盆が近づくと、お仏壇のお掃除をします。綺麗な細工も見事に外れてお掃除できるようになっています。お位牌を綺麗にするのは主人のお役目です。お盆にはお盆のお飾りがあります。一年に一回だけ出してきます。お軸もこのときだけのものです。
我が家は深草派浄土宗なのですが、昔は日蓮さんだったということで、どちらもお飾りさせてもろうています。ですから、お膳もふたつ、それに「付いてきゃはった人」の分も作ります。おはしは「おがら」を、おはしの長さに切って束ねます。
お昼は最初の日は「お迎え団子」その次の日が「おはぎ」その次の日が「白むし」帰らはる日は「お送り団子」です。このお団子はしんこ餅と同じお味で、おはぎといい、お下がりを戴くのが楽しみです。
夜は昔の書付は「とおに」無くなってしまったとかで、決まり物はありませんが、大体同じようなものになります。お芋は夏の細いところを小さく切り、三度豆も二つ折りにするなど、小さい可愛らしいお膳です。
こういうことは、母のしていたことを見るとはなしに見ていたことを、同じようにしている自分に気がつき、おかしくなります。
2006年08月08日
お精霊迎えの行列
毎年思うことやけど、後祭りが終わると、あっという間に鐘を突きに行かんならん。鐘を突くと言うのは、六道さんの鐘です。毎年八月の七日から十日まで、六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)では、お盆の精霊迎えの鐘を皆突きに行くのです。真夏の夜、東山の麓の小さなお寺に思いもかけぬほどの人が集まります。

このお寺の境内には、冥府への入り口があると言われています。入り口で高野槙を買い、

お寺でお迎えする人の戒名を書いてもらうか、自分でお塔婆に書いて持ってきて、鐘の行列に並びます。行列は短いときは通りまでですが、長いときは、角を三つ曲がった事がありました。
年にいっぺんの行列ですが、することもなく、あたりの景色を眺めているので、見慣れた景色です。たいてい、家族連れとか夫婦です。思わぬ人に出会う事もあります。「暑うおすなぁ」で始まる挨拶は「ほな、又」で終わります。行列はどんどん進みます。ほの暗い中団扇と扇子ばかりが、はたはたと。
夏のあかるい空の色、ゆったりとした時間が流れていきます。「並ぶの嫌やなあ」と言いながら、行列の大嫌いな京都の人が、これだけは並ぶのは、そら、ご先祖さんをお迎えせんならんと言う事もあるけど、せわしない毎日の中にぽっかりとあいた、このひと時を愛しているからかもしれません。



このお寺の境内には、冥府への入り口があると言われています。入り口で高野槙を買い、
お寺でお迎えする人の戒名を書いてもらうか、自分でお塔婆に書いて持ってきて、鐘の行列に並びます。行列は短いときは通りまでですが、長いときは、角を三つ曲がった事がありました。
年にいっぺんの行列ですが、することもなく、あたりの景色を眺めているので、見慣れた景色です。たいてい、家族連れとか夫婦です。思わぬ人に出会う事もあります。「暑うおすなぁ」で始まる挨拶は「ほな、又」で終わります。行列はどんどん進みます。ほの暗い中団扇と扇子ばかりが、はたはたと。
夏のあかるい空の色、ゆったりとした時間が流れていきます。「並ぶの嫌やなあ」と言いながら、行列の大嫌いな京都の人が、これだけは並ぶのは、そら、ご先祖さんをお迎えせんならんと言う事もあるけど、せわしない毎日の中にぽっかりとあいた、このひと時を愛しているからかもしれません。
2006年08月06日
もう秋刀魚?
中央卸売り市場ではマツタケがぎょうさん出回っているそうです。
「えっ、もう、ですかぁ。ちょっと、まったけ(待っとけ)」
などと言っていたら、秋刀魚も出てきました。
生秋刀魚は、まだ高値ですが、居酒屋さん・小料理屋さんとかがお造りなどに買っていかれます。店のおかずには、秋刀魚の開きで十分。いい脂があって、夏ばてを防いでくれそうです。
これに、釜揚げときゅうりと茗荷とワカメの酢の物が、今日のおかず。食欲がおちてくるので、なんとか食べて欲しいです。
「えっ、もう、ですかぁ。ちょっと、まったけ(待っとけ)」
などと言っていたら、秋刀魚も出てきました。
生秋刀魚は、まだ高値ですが、居酒屋さん・小料理屋さんとかがお造りなどに買っていかれます。店のおかずには、秋刀魚の開きで十分。いい脂があって、夏ばてを防いでくれそうです。
これに、釜揚げときゅうりと茗荷とワカメの酢の物が、今日のおかず。食欲がおちてくるので、なんとか食べて欲しいです。